ヨハネⅠ 2:3-11 小牧ホープチャペル
「神の愛が全うされる」 藤野純一
テーマ イエス・キリストを信じている人は、絶えず神の光の中を歩むことができる。そして、いつも自分の罪をきよめていただき、神の愛の命令を守ることができるようにしていただける。それによって、神の愛がうちに全うされ、神ご自身との豊かな交わりを実際に経験していく。
今週の聖句 ヨハネⅠ 2:5 <だれでも神のことばを守っているなら、その人のうちには神の愛が確かに全うされているのです。それによって、自分が神のうちにいることが分かります。>
神の命令を守っているなら v3-6
v3 <もし私たちが神の命令を守っているなら>
<それによって、自分が神を知っていることが分かります。>
人間関係の律法の要約
→ マタイ 22:39 <『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』>
v4 <神を知っていると言いながら、その命令を守っていない人は、偽り者であり>
<その人のうちに真理はありません。>
v5 <神のことばを守っているなら、その人のうちには神の愛が確かに全うされているのです。>
イエスの愛は、どのように現されていくのか?
→ ヨハネ 14:21-23
v20 <「その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。>
v21 <わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」>
v22 <「主よ。私たちにはご自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、どうしてですか。」>
v23 <「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」>
<それによって、自分が神のうちにいることが分かります。>
v6 <神のうちにとどまっていると言う人は、自分もイエスが歩まれたように歩まなければなりません。>
イエスはどのように歩まれたか?
→ ヨハネ 14:10 <私が父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです。>
古い命令 → 新しい命令 v7-8
v7
v8
<新しい命令として、もう一度あなたがたに書いている>
<それはイエスにおいて真理であり、あなたがたにおいても真理です。>
<闇が消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。>
→ ヨハネ 8:12 <イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。>
→ ヨハネⅠ 1:3 <私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。>
→ ヨハネⅠ 1:5 <神は光であり、>
問題点は v9-11
v9 <光の中にいると言いながら自分の兄弟を憎んでいる人は、今でもまだ罪の中にいるのです。>
<憎む> (ギリシャ語) = 嫌う、愛を遅らせる、少なく愛する。
v10 <自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、その人のうちにはつまずきがありません。>
v11
<しかし、自分の兄弟を憎んでいる人は闇の中にいて、闇の中を歩み、自分がどこへ行くのかが分かりません。闇が目を見えなくしたからです。>
では、どうすれば?
→ 1:7 <もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。>
例 藤井圭子さん 「阿弥陀仏などは人間の願望、頭が生み出した抽象的な観念仏に過ぎず、何ら実質実体のないものであることが次第に明らかになってまいりました。」
例 親鸞聖人 「悪性さらにやめがたく、心は蛇蝎のごとくなり 虚仮不実の我が身にて、清浄の心もさらになし」 → 「仏法を聞いても、性根は変わらない。」
今週の聖句 ヨハネⅠ 2:5 <だれでも神のことばを守っているなら、その人のうちには神の愛が確かに全うされているのです。それによって、自分が神のうちにいることが分かります。>